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2012年12月号 

私の愛唱聖句

江藤安純
コリントの信徒への手紙T2:6〜16
しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。 「だれが主の思いを知り、/主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

或るクリスマスの出来事

詩 佐久間彪
 老いたひとりの農夫が、ゆり椅子に身をゆだねて暖炉の火を見つめていた。
 遠く、教会の鐘が鳴っている。クリスマス・イブ。
 彼はもう長いこと、教会に背を向けて生きてきた。
 「神が人間になった、だと?馬鹿馬鹿しい。だれがそんなこと信じるものか。」
 目を閉じ、薪のはじける音を聞きながら、彼はまどろみかけていた。
 突然、窓ガラスに何かがぶつかる烈しい音。それも次々に、更に更に烈しく。
 何事かと、彼は身を起こした。
 窓際に立って見たものは、音もなく雪の降りつもる夜闇の中に、この家めざして押し寄せてくるおびただしい小鳥の群れだった。
 雪闇に、渡りの途(みち)を誤ったのだろうか。小鳥たちはともし火を求めて、ガラス窓に次々と打ち当たってはむなしく軒下に落ちていく。

 彼は、しばし呆然と、その有様を眺めていたが、外へ出るや、雪の降り積もるなか、一目散に納犀へと走った。
 扉を大きく左右に開け放ち、電灯を明か明かと灯して、乾草をゆたかに蓄えた暗い納屋へ小鳥たちを呼び入れようとした。
 「こっちだ、こっちだ、こらちに来い!」
 しかし、はばたく小さい命たちは、彼の必死の呼び声に応えず、ガラス窓に突き当たっては死んで行った。

 農夫は、心のうちに思った。
 「ああ、私が小鳥になって、彼らの言葉で話しかけることが出来たなら!」
 一瞬、彼は息を呑んだ!彼は、瞬時に悟ったのだ。
 「神が人となられた」ということの意味を。彼は思わず、その場にひざまずいた。

 今や、人となりたもうた神の神秘に満ちた愛が、ひざまずく農夫を静かに被い包んでいた。
 彼の上に降りかかり降り積もる雪は、そのしるしとなっていた。